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中秋节
祝大家中秋节快乐!

同じ月を眺めている、すべての人たちへ。

但愿人长久,
千里共蝉娟 。

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【2009/10/04 01:37】 | ・ 日々のもろもろ | トラックバック(0) | コメント(19) | page top↑
三角人とまんまる人のはなし
seitakakkei.jpg



むかしむかし、あるところに、「「三角国」」という王国がありました。
三角国のひとびとは、みな、体が三角形のかたちをしていました。
あたまは、三角形の上部のとんがった点のところに、ちょこんとのせてありました。

三角国から海を一つ渡ったところに、「まんまる国」という王国がありました。
まんまる国のひとびとは、みな、体がまんまるです。
あたまも、まんまるです。
おだんごが、ふたつ、くっついたようなひとたちでした。

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三角国に、ひとりの若者がいました。
若者は、自分を、賢く、勇敢な人だと思っていました。
彼は、いろいろな原因で、三角国の王さまや、大臣たちの能力、そして国の将来を、悲観していました。
若者は、三角国から飛び出して、外の世界を見てみたいと思いました。
<自由>というものが、欲しいとも思いました。
それは、三角国には無いものだと、若者は思っていました。
まんまる国では、それがある、と彼は人に聞いていました。

若者は、決心しました。お父さん、お母さんに別れを告げ、
船に七日間揺られて、まんまる国にたどり着きました。

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若者がまんまる国に着いたころ、まんまる国のひとびとは、三角人を見たことが、あまりありませんでした。
なので、若者の三角形の体は、<変>なものとして、まんまる人の目に映りました。
道を歩くと、みんなものめずらしそうに彼の体をチラチラっと伏せ目で見てきました。
仕事を探しましたが、「うちはちゃんと丸い形をした人のほうがいいから」といって、たくさんのところで断られました。
ともだちも、あまりできませんでした。

若者は、とても悔しい思いをしました。
彼は、もともと三角国では、優秀な人だったので、新しい場所で、低い現状に甘んじたくはありませんでした。
若者は、こう考えました。
よし。努力して、ひたすらがんばって、俺もまんまるになってやろう。
そうすれば、みんなも俺を受け入れてくれるだろう。

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まんまる国で、若者は、とてもがんばりました。
たくさんの時間を費やして、寝ても覚めてもトレーニングしました。
身も心も、まんまるに成ろうと自分に念じました。
すごく苦労しました。
角が削られる感覚は、ときに鋭い痛みを伴いました。

その甲斐があって、体のとがりはだんだんと無くなっていきました。
体の尖がった場所が削られて、三角形から四角形に変わりました。
そして、五角形、六角形、というふうに、
角が多くなり
どんどん円形に近づきました。

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十年の月日が流れました。
若者の体は、十七角形になっていました。
かぎりなく丸形に近いところまで来ていました。
彼は、もとの三角形の姿を悟られることなく、周囲のまんまるの人々と楽しく付き合え、仕事でそれなりの成果もとれるようになっていました。

しかし、どうがんばってみても、もともと三角だった彼は、すべての角を完全に失くすことは不可能なのでした。
彼はときどき、夜空にかかる月を見て、ホッとため息をつきました。

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一年、一年と年を重ね、若者は二十度目のまんまる国の春を迎えました。
ある日、彼に、三角国で仕事をしないか?という誘いが舞い込みました。
ちょうどそのころ、彼はまんまる国での暮らしに慣れきっており、この国の中での現実と自分の理想の限界とが少しだけ見えてきていました。
さそわれた三角国での仕事は、彼の今までの技術や経験を生かして、上手く進められそうでした。
郷里に残してきた、お父さんとお母さんに会って、静かにいろいろな積もる話をしたいとも思いました。
彼は突然、郷愁の思いを強く胸に感じました。


そんなわけで、彼は、七日間船に揺られて、ふるさとの三角国にたどり着きました。


三角国は、二十年のうちに、いろいろなことが大きく変化していました。
彼は、自分の体が十七角形になっていて、もはや三角形ではない、ということを、忘れていました。
十七角形の彼は、<変>な人としてひとびとの目に映りました。
三角国は、もう、彼の国ではありませんでした。
彼は、戸惑いを隠せませんでした。

仕事はおもったより上手くいきませんでした。三角国とまんまる国は、商売のしかたにいくつかの大きなちがいがありました。
二十年前のように、がむしゃらに環境に適応しようとする気概と根気は、彼はもう、持ち合わせていませんでした。
初めて心から、安泰で平坦な日々が欲しいと思いました。
彼は、まんまる国に帰って来てしまいました。

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若者はもはや、三角人でもなく、また、まんまる人でもないのでした。

また彼は、もう若者でもありませんでした。他人から立派な紳士と呼ばれる年になっていました。

まんまる国に帰ってきたその後、結婚して家庭を築きました。

彼は今日も、十七角形の心をそっと背広に隠し持ちながら、会社に行き、飲み会に行き、子供の寝顔を見て、月を見上げ、眠りに付くのでした。
【2009/06/08 14:00】 | ・ 未分類 | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
改变
不知为什么,最近外公外婆给我打电话的数次越来越多,间隔离得越来越近。前一周居然每天给我打两三次电话。这可是国际长途电话,不便宜啊。

以前一直是每一个月通一次电话,从来没有过每晚都受到电话这种情况。在这次他们拨打的一系列电话中,大部分我还是没有当场接到。最近他们对家人的思念好像是越来越浓,牵挂是越来越多。一想到这里,我心中感觉到一丝隐隐约约的痛。他们没有业余爱好,退休后把生活的重点放在子女和孙辈们的身上。他们曾经是我的全部世界,虽然是这样,但在我家出国后,我一直认为他们早就成功地重新安排了自己的生活重点,习惯了每年暑假时看我一眼的生活。我,显然是想错了。

在电话里,听他们细说我小时候的事情。他们似乎沉醉在过去的回忆中,在电话筒里不停地怀念。以前的外公外婆,不是这样酷爱怀念过去的人啊。我想听他们说说关于他们自己的事情,但除了定期去医院之外,他们的生活中似乎没有任何其他的活动了。

外公今年已是八十岁了,我越来越感到未来的时间是有限的。虽然我很害怕面对这个无情的现实,但是我不得不承认,他们,真的是老了...

在话筒里,我听到他们声音中对家人的渴望了,放下电话,我真是心头一酸,满心是无奈。我开始瞬间的反省,我总是说忙,现实上,此时此刻的我不可能回国陪着他们,我到底该怎样努力?

我曾经试着每周给他们写一封信,后来实在是想不出共同的话题了,发信就暂停了,直到现在也没有重新提笔。

主动打电话,我一再拖迟着。借口好多:考试了,生病了,手机坏了... 纵然全是事实,但说穿了还是借口。因为时间是可以自己安排出来的啊。

每一次往家里打电话时,我都有一种想法:想要给老人家报告好消息。我想提供一些有趣的,开心的话题, 比如说:在学业上有出色的表现呀,工作顺利呀,等等。可是,我最近实在是没有什么特出的表现...

在他们的眼里,我仍然是当年的五岁小娃娃的那个样子,保持着快乐大方,活泼可爱的形象。离开他们这么多年了,我变了。其实我从来没有跟他们讲过我的心里话,我们这一代人跟老人总是会有一些代沟的,我知道我的很多想法以及做事情的方式在他们眼里都是难以接受的。这也就算了,我学乖了,我把我身上良好的一面展现给他们看,其他方面就不讲给他们听了,向肚子里咽下去了,藏的好好的。我一再不忍心毁掉我在他们心目中的那个小乖孙女的模样。

谁知道到现在会发展成这样,连波一次电话号码都好紧张,要做好多好多心理准备?

我决定了,我要改变自己的想法。打电话,听听声音足也,不需有什么特别的话禀告; 写信也不用字字珠玑,文从字顺,发一件短信,写下一两句话就可以。这样可以让他们知道我时常在想着他们,可以把我的思念,我的关心传达给他们。

反正每天总会花一些时间给朋友们发信,打电话。抽出一点点时间给外公外婆,又有什么不可能?

努力吧。寸金难买寸光阴,趁时间还不算太迟,好好去珍惜那些我的最值得珍惜的人们。
【2009/05/18 01:49】 | ・ 日々のもろもろ | トラックバック(0) | コメント(5) | page top↑
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先月、熱が下がらないまま、期末試験の前日に必要に迫られて朝から図書館に通い一日中勉強していた。かなり崖っぷちなその夜の帰り道、熱で少し浮かれていたのか体中の感覚が研ぎ澄まされ、周りのざわめき動く夜景がやたらくっきりと視覚に迫ってきた。高層ビルの間に、きちんと四角い形の夜空が見えた。白い月がぼんやりときれいに薄暗い空に架かっていた。

空気がなま温かかったので、コートを脱いで、手にもって歩いた。それに少し感動を覚えた。去年からほぼもう半年、黒く分厚いコートを毎日着込んでいた。長く寒かった冬がやっと終わった時の強い開放感と喜びは、気候が厳しい北国に住む人々の特権である。夜の街に繰り出す道行く人々も、みんなすこし浮かれているように見えた。熱で一週間ほどほぼ隔離状態で外に出ていなかったので、雑踏の中の人々の姿や声が懐かしく心地よかった。スカートを履いて、素足を出している子もちらほらいた。

少し冷えた夜風が吹き立ち、ほてった額に気持ちよかった。

子供のころ、こんな白い三日月の夜は魔法使いの夜だった。まっすぐな道を、どこまでも歩いて行けそうな気がした。

その夜、春の到来を感じた。なにか良いものに包まれているような夜だった。

今月に入り、春の気配をいたるところに感じるようになった。涼しい影を落とす木立のざわめき、霧のように甘く満ちた春の外気。こんな日に外を歩くと、服も体も軽く感じ、心の芯から山吹色に色づく。目を閉じると、まぶたの裏に黄金色の光を感じる。吸い込まれるような色である。

この季節を手の平に乗せて、少し眺めていたい。そっとポケットに隠して、必要なときに取り出して触ってみたい。春の日々は淡く、浅い。

春というのは、不思議な時間だ。永遠に変わらないような陽射しの中で、いろんなことが進展していたりする。人の心や、出来事。

柔らかいひだまりの中では、すべてなかったように思える。いろんなこと、今までのこと、これから。自分が何者で、どこからやってきて、どこへ向かうのか。永遠にこの美しい時間のエアポケットに入り、守られ、朝日の中でのんびりと歩きながら、一生を過ぎていけるような気持ちになる。

そうしているうちに、秋が牙を研いでいく。時間がたたないなんて錯覚だったというふうに、ある朝突然冷たい風や高い空で思い知る。

最近、春の間に、冬への蓄えをしなければと思うようになった。そういう考えをするようになって、少しだけかしこくなった。

二重の意味で、この耐え難くも短く甘い季節を楽しみたい。

【2009/05/16 12:57】 | ・ 日々のもろもろ | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
大切なもの。


子供時代をすごした日本の家を、私はときどき思い出す。夕日の中の団地、誰もいない夕暮れの校庭、五時のチャイム、トンボの鉛筆、夏の蝉の声、クーラーがなくて汗だくになった教室、スーパーでみたらしを売っている焼き場、人々の肩越しの打ち上げ花火と煙、窓からみた初雪。そうした日々の姿はもちろん、友達のはしゃいだ声、仲良くなった司書のお姉さん、通いつめた図書館の静寂、あらゆる風景が淡々とした時間の流れとともに心に刻み込まれている。

いつだって遊びに行けるよね、今は飛行機だってあるし。太平洋なんて、関係ないよね、と言い合って友達と分かれたにもかかわらず、北米に越したその後、一回しか日本には帰らなかった。

その間に、中国語と英語が上達した。周りに日本語を喋れる人も少ないし、日本語はごくごく少数の友達と話すときだけに使う言葉となった。日本から来ましたというと、珍しがられた。新しい環境と社会に適応しようとがんばった。

それでも決して、思いが薄れたわけではない。ただ子供の頃想像していたよりも月日は早く過ぎ去り、海の隔たりは広かった。

むしろ逆に、時間が流れ、距離が遠ざかるほどに、小さな頃の日々の思いでは色濃くなり、くっきりと輪郭を現し、胸の置くに深く根ざしていった。

眠れない夜には記憶の蓋を開け、心の中の品々を取り出して、目をつぶってそっと触れてみる。そうするだけで自分が過去の時間によって守られていると感じることができる。

友達も私も大きくなって、町から去っていった。現実が失われているからこそ、私の思いではもはや、なにものにも損なわれることがない。心の中には、私の家はまだそこにあり、大切な人達は、皆昔のままの姿で暮らしている。思うたびに、彼らの声は生き生きとし、笑顔は温もりを帯びる。

私はじゃまにならないように注意しながら、そっと彼らの間をさ迷い歩く。なのに必ず誰かが私に気づき、まるで月日などなかったように、さりげなく「なぁんだ、そこにいたん」 と声を掛ける。「そう」と私は、思い出の中の人たちに答える。

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二年前、大学一年目の夏に日本に帰った時、前住んでいた団地に戻ってみた。私の家族が住んでいたアパートの玄関に、見知らぬ家族の表札がかかっていた。子供用の濡れた赤い傘が壁に寄りかかり、しずくをぽたぽたと玄関の前に落としていた。仲良くしていた二軒隣の子の家の表札は、掛かっていなかった。前から掛けていなかったのか、それともその部屋の住人に何か変化があったのか、思い出せなかった。仲良くしていた子の家族の消息を知りたかったが、その家のもしかしたら知らない人の物になっているかもしらないドアをノックする勇気がなかった。

団地を出て、公園のベンチに座ってぼんやりしていた。人面不知何处去, 桃花依旧笑春风だったなと思った。

近くに日向ぼっこしているお婆さんと乳母車 の中の赤ちゃんをあやしている中年の女性が座っていた。すこしして、お婆さんが乳母車の女性に話しかけた。私はなんとなく二人の会話を聞いていた。

「おはようございます。
今日はいい天気ですね。
お子さん、可愛いですね。
おとこのこですか、それとも おんなのこ?」
女の人の声が返事が聞こえた。
「男の子です。
この子のなまえは しん といいます」

私はおどろいた。その女性の言葉の発音が中国人独特の発音だったからである。私の親や親の友達が日本語を喋るとき、かすかに聞き取れる中国語の影響、それをすこし強くしたような発音。

改めてその女性を見た。眼鏡をかけて、皮膚が白くて少しぽっちゃりした、やさしそうな人だった。遠慮がちに言葉を選んで、それでも話しかけられて嬉しそうにすこし弾んだ声であった。男の子は丸々と太って、大人の会話とは関係なしに柔らかい光の中ですやすやと寝ていた。

しん? しんって何の字だろう。 欣?新?機

私が住んでいた頃、団地内の中国人の家庭は少なかった。それに、知っていた家族はみんな北米に引っ越したり中国に帰ったりして団地からいなくなってしまった。
だから、赤ちゃんを眺めていたら嬉しくなった。
「ね、きみ。いまはまだ小さいけど、これからいろいろ楽しいことがあるよ。ここは県立公園もすぐ隣にあるし、緑も多いし、小学校はのほほんとしているし、育つにはいいとこだよ。」
なんて赤ちゃんに話しかけたくなった。あやしい人と思われたくなかったので、しなかったけど。

その頃は、まだ小泉総理がポストに就いていて日中関係が悪化しているような気があった。私の大学でも中国人の生徒の間で「日本の輸出品は買わないように!」などという運動が行われていた。まじめに参加している生徒は稀で、みんな流れに乗って盛り上げている感が強かったが、それでもときどき熱心にその運動への参加や署名を誘ってくる人がいて、私は複雑な気持ちになっていた。

だからお婆さんが、「こんにちは」とこの女性に話しかけて、二人が穏やかにとりとめもない会話をしている。そんな普通の暮らしの中での人々の交流を見て、なんとなくほっとした。

「二月に ここに ひっこしてきました。」
とその女性がおばあさんに言った。どうやら新しくこの団地に移り住んだようだった。
この女性の家族は日本には慣れたのかな。どのくらい団地に住むのかな。と思った。
古い住人が引越して出て行き、新しい住人が入ってくる。とても自然なことである。
何もかもが変わっていたが、満ち足りた気分で、団地を去った。
【2009/05/06 07:21】 | ・ 日々のもろもろ | トラックバック(0) | コメント(8) | page top↑
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